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マー君 ザックジャパンにエール 同じ年の香川に「頑張って」 [WBCや五輪で日本代表として世界を相手にしていた]

マー君 

ザックジャパンにエール 

同じ年の香川に

「頑張って」

ア・リーグ ヤンキース5―10アスレチックス

(2014年6月15日 オークランド)

ヤンキースの田中が、

W杯を戦うサッカー日本代表にエールを送った。

香川とは同じ25歳。

自らもWBCや五輪で日本代表として世界を相手にしていただけに、

思い入れは強く「頑張ってほしい。

日本はW杯一色だと思う」と激励した。

次回登板は

17日(日本時間18日午前8時5分開始)のブルージェイズ戦に正式決定。

ブ軍はヤ軍に4・5ゲーム差を離し、

ア・リーグ東地区首位を快走しており

「そのチームに勝っていかないといけない」と

ハーラー単独トップの11勝目が懸かる登板へ意気込みを語った。

ヤンキースの田中将大投手(25)は15日(日本時間16日)、

次回登板の

17日(同18日)のブルージェイズ戦に向けて

キャッチボールやランニングなどで調整した。

田中 将大(たなか まさひろ、

1988年11月1日 - )は、

日本出身のプロ野球選手(投手)。

2014年からは北米を拠点に活動しており、

現地の代理人はエクセル・スポーツ・マネージメント社。

所属チームは、

メジャーリーグベースボール(MLB)のニューヨーク・ヤンキース。

妻は、

歌手でタレントの里田まい。

出身地は、

兵庫県伊丹市。

伊丹市立昆陽里小学校1年時に軟式少年野球チーム

「昆陽里タイガース」で野球を始め、

4番・捕手として坂本勇人とバッテリーを組んでいた。

打撃練習では左翼方向への本塁打を連発し、

しばしば同じ方角にある校舎の窓を直撃しかけたという。

小学校時代の最高成績は6年時の県大会準優勝。

伊丹市立松崎中学校時代にボーイズリーグの「宝塚ボーイズ」で

硬式野球を始めると強肩を買われて投手も兼任するようになり、

3年時には関西南選抜チームに選出された。

「野球の練習となるとその熱心さからか、

しばしば周りから怖がられていた」と当時を知る人物は語っている。

「宝塚ボーイズ」の監督・奥村幸治によると、

当初、

高校は地元関西圏の有名校に行く予定だったが諸事情から断念し、

奥村の紹介で駒澤大学附属苫小牧高等学校を見学。

当時の野球部キャプテンの人柄に惹かれ野球留学を決意したとの事。

駒大苫小牧高校に進学後は本格的に投手に専念するようになり、

2年夏の第87回全国高等学校野球選手権大会では主戦投手として

140km/h前後の速球と高速スライダー、

フォークボールを武器に57年ぶり史上6校目の大会2連覇に貢献。

決勝戦で

優勝を決めた最後の1球は

2年生では史上初の150km/hを計測した]。

大会後、

AAAアジア野球選手権大会の日本代表に

2年生では堂上直倫と2人だけ選出され優勝。

2年秋からは香田誉士史が監督に就任後初のエース兼主将となり、

秋季北海道大会では堂上を参考にフォーム改造した打撃でも

決勝を含む5試合中4試合で本塁打を放つなど活躍。

決勝では過去最多の13点差で優勝した。

その後行われた第36回明治神宮野球大会でも

北海道勢として初めて決勝に進出して優勝し、

第78回選抜高等学校野球大会では優勝候補に挙げられていたが、

部員の不祥事により出場辞退となった。

史上2校目の

夏3連覇が懸かった第88回全国高等学校野球選手権大会では

大会直前から体調を崩したが、

チームは決勝に進出。

早稲田実業との決勝戦では3回途中からリリーフ登板して延長15回まで1失点。

しかし早実の斎藤佑樹も1失点で完投し、

37年ぶりの決勝引き分け再試合となった。

再試合でも1回途中からリリーフしたが、

最後の打者として斎藤に三振で討ち取られ3対4で敗れた。

大会後は全日本選抜としてアメリカ遠征に参加し、

秋ののじぎく兵庫国体では

決勝戦でまたも斎藤と投げ合ったが0-1で敗れ準優勝。

2人を中心とした熱戦は国内で同年のスポーツを代表する名場面となった。

高校時代の田中(2006年8月17日、阪神甲子園球場)

最速150km/hの速球と高速縦スライダーを武器に、

公式戦通算57試合の登板で35勝3敗、計329回2/3を投げ、

防御率1.31、

奪三振数は横浜高校の松坂大輔を上回る458奪三振を記録。

甲子園では春夏通算12試合の登板で8勝無敗[。

周囲からは「怪物」「世代最強エース」などと評された。

打者としても高校通算13本塁打を記録している。

同世代の投手では随一の評価を受けていたが、

甲子園での熱闘に加えて斎藤が大学進学を表明した事でさらに注目が集まった。

指名されればどの球団でも入団する意思を表明していた事もあって

全12球団の指名候補となっており、

複数球団の競合が確実視されていた。

2006年9月25日の高校生ドラフト会議において、

北海道日本ハムファイターズ、

オリックス・バファローズ、

横浜ベイスターズ、

東北楽天ゴールデンイーグルスから1巡目指名を受け、

抽選の結果楽天が交渉権を獲得。

11月2日に契約金1億円+出来高、

年俸1,500万円(金額はいずれも推定)と、

高卒としては松坂大輔、

寺原隼人、

ダルビッシュ有以来の大学・社会人出身希望枠と同等の条件で仮契約を結び、

背番号は18に決定。

2007年

春季キャンプでのフリー打撃、

紅白戦、

オープン戦の初登板が全て雨で中止か延期となり、

チーム内で雨男とあだ名された。

3月29日の対福岡ソフトバンクホークス戦で初登板初先発、

1回2/3を投げて打者12人に対し6安打3奪三振1四球で6失点。

4回に同点となって敗戦投手にはならなかったが、

降板後のベンチで涙を見せた。

4試合目の登板となった4月18日の対ソフトバンク戦で

9回を2失点13奪三振に抑え初勝利初完投。

6月13日の対中日ドラゴンズ戦で高卒新人では

2005年のダルビッシュ有以来の完封勝利を記録。

同年のオールスターゲームに高卒新人では

1999年の松坂大輔以来となるファン投票で選出され出場、

7月22日の第2戦に先発して

自己最速の153km/hを記録した(2回6失点)。

7月10日には高卒新人として松坂大輔以来史上6人目、

江夏豊と並び最速タイとなる96回2/3でのシーズン100奪三振を記録。

8月31日の埼玉西武ライオンズ戦で松坂大輔以来、

球団史上初となる高卒新人での2桁勝利を挙げた。

リーグ4位の186回1/3を投げて11勝を挙げ、

リーグ2位で高卒新人では歴代4位の196奪三振を記録。

松坂大輔以来8年ぶりの高卒1年目で新人王を受賞した。

同年は連敗ストッパーとなることが多く、

監督の野村克也は

「だって(田中は)ウチのエースだもん」と答えたこともあった。

ソフトバンクとの相性が良く、

登板6試合のうち5試合で勝利投手になった。

2008年

シーズン前に2年目のジンクスについて聞かれ「全く考えていない。

いまやるべきことをやるだけ。

そのことは二度と聞かないでほしい」と答えた。

5月4日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で

勝利投手となり、

北海道で初勝利。

同球場では史上初の敵チームのヒーローインタビューが流された。

交流戦の最終戦の対広島東洋カープ戦(広島市民球場)でプロ入り初セーブ。

北京オリンピック(北京五輪)の野球日本代表に選出され、

背番号は15。

大会を通じ3試合に登板、

7イニングで失点、

自責点は0だった。

レギュラーシーズン最終戦の10月8日の対ソフトバンク戦(Kスタ宮城)で

9回を6安打無失点に抑え、

チームは延長12回にサヨナラ勝利するが田中は勝利投手とならず、

この年は9勝に終わるが、

高卒新人としては40年ぶりの2年連続150奪三振。

2009年

第2回WBCの日本代表に選出され、

日本代表の大会2連覇に貢献した。

シーズン開幕後はソフトバンクとのホーム開幕戦に先発して

完封でシーズン初勝利を挙げると、

4月14日の対千葉ロッテマリーンズ戦で1失点完投、

4月22日のロッテ戦で完封、

4月29日の対日本ハム戦で野村克也の監督通算1500勝目となる1失点完投と、

1993年の小宮山悟、長谷川滋利以来となる

開幕から4試合連続完投勝利を記録し、

自身初の月間MVPに選出された。

5月13日の対日本ハム戦で完投は途切れたが、

6月3日の対阪神タイガース戦で敗れるまで開幕7連勝を記録。

6月11日の中日戦で8勝目を挙げた後は、

7月20日の対ソフトバンク戦で抑えとして登板して

自己最速を更新する155km/hを記録し、

防御率1点台を維持しつつも


オールスターゲーム後まで勝ち星からは遠ざかっていた。

8月7日の日本ハム戦で約2か月振りの

勝利となる9勝目を挙げて以降は安定した結果を残し、

8月27日の西武戦で自己最多となる12勝目を記録。

8月には4試合に登板して4勝0敗、防御率1.44、

30奪三振で自身2度目となる月間MVPに選出される。

援護率がパリーグでワースト2位の3.54だったにもかかわらず、

最終的にリーグ2位タイ、チームトップとなる15勝、

リーグ3位となる防御率2.33を記録。

10月17日のクライマックスシリーズ第1ステージ第2戦の

対ソフトバンク戦では自身初の無四球完投勝利を挙げ、

チームの第2ステージ進出に貢献した。

12月25日の契約更改では1億500万円増、

プロ入り4年目の選手としては

ダルビッシュに次ぐ史上2番目の高額契約となる

年俸1億8000万円で契約(推定)。

2010年

シーズン開幕から低調なチームの中でも奮闘した。

5月には自身3度目となる月間MVPを受賞し、

6月までにチームトップの8勝を挙げた。

しかし7月に太腿の肉離れで戦線離脱。8月に復帰するも、

8月29日の対西武戦で投球中に違和感を訴えて降板すると

右大胸筋部分断裂と診断され、

以降の試合は欠場している。

11勝、防御率2.50はチームトップだったが、

奪三振や投球回はプロ入り後最低となった。

11月15日にはタレントの

里田まいとの交際を自身のブログで公表した。

2011年

1月12日、

ホリプロよりマネジメント契約を結んだことが明らかにされた。

公式戦シーズンは、6月と7月には2か月連続で月間MVPを受賞、

8月7日の対日本ハム戦を迎えるまでの開幕から

16試合連続で

クオリティ・スタート(6回以上を投球して3失点以内に抑えること)を達成し、

8月27日の対ソフトバンク戦では

野田浩司に次ぐ歴代2位の1試合18奪三振を記録。

9月10日の対日ハム戦では、

2006年夏の甲子園の決勝以来となる斎藤佑樹との対戦となり、

前売り券のみで売切れるほどの大きな盛り上がりを見せ、

結果は田中が1失点完投で勝利した。

この試合は「ジョージア魂」賞の年間大賞に選ばれている。

シーズン前半は10回無失点ながら勝ちが付かないなど、

中々打線の援護に恵まれなかったが後半に勝ち星を伸ばし、

最終的に19勝5敗。

前述の6、7月の他に10月も月間MVPを受賞し、

リーグ史上初となる年間3度の月間MVP受賞を果たした。

投球回は初の200イニング超えの226回1/3イニング、

年々減っていた奪三振は241とイニング数を超える数を記録。

防御率はパ・リーグ史上2位となる1.27で、

2リーグ制以降では歴代5位の記録である。

この年は最多勝利(D.J.ホールトンと同数)、

最優秀防御率、最優秀投手、

最多完封(6試合、ダルビッシュと同数)の4冠を獲得。

他に両リーグトップの完投(14試合、

ただし1試合10イニングを投げた試合が

2試合あるがいずれも試合に決着が付かなかったため完投ならず)、

無四球試合(5試合)も記録。

四球の数も減り、

過去最多のイニングを投げながら四球は僅か27と過去最少で、

パ・リーグの規定投球回に到達した投手の中では

3番目に少なく与四球率1.07、

K/BBは最多奪三振を記録したダルビッシュの7.67を上回る8.93を記録し、

沢村栄治賞を初受賞、

他にもベストナインにも選出され、

ゴールデングラブ賞、最優秀バッテリー賞も獲得した。

一方、

シーズンオフの12月14日には仙台市内で自家用車を

運転中に自転車と接触事故を起こし、

自転車の女性の腰の骨にひびが入る重傷を負わせた。

2012年

里田まいとの婚約を1月26日に発表。

2月7日、

前年12月に起こした接触事故で仙台東警察署より

自動車運転過失傷害の疑いで書類送検された。

シーズン開幕を控えた3月20日に里田との婚姻届を提出した。

3月30日の開幕戦では自身初の開幕投手を務めたが、

6回5失点で敗戦投手となった。

4月22日に腰痛で2年ぶりに戦線離脱した。

復帰後の5月30日の対巨人戦は

先発の杉内俊哉と互いに8回まで投げ二桁奪三振を記録する勝負であったが、

チームはノーヒットノーランで敗れ敗戦投手に。

7月6日の西武戦では先発登板が予定されていたが、

投球練習中に右脇腹に違和感を訴えて先発登板を回避し、

代役として中7日で塩見貴洋が登板することになった。

8月19日の対西武戦(西武ドーム)では

通算1000奪三振を記録するものの6失点で敗戦投手となるが、

8月26日の対日本ハム戦では延長10回を無四球完封勝利を挙げ、

これより翌シーズンにかけての連勝記録をスタートさせる事になる。

シーズン終盤に4連勝し、

最終戦で10勝目を挙げ、

4年連続の二桁勝利となった。

防御率は2年連続の1点台となる1.87、

リーグ最多奪三振を記録。

また完投、

完封もリーグトップを記録。

規定投球回達成者では最少となる19四球、

BB/9は0.99と1を割り込んだ。

12月22日に3年12億円+出来高で契約更改し、

「将来的に、

そういうところ(メジャー)でやろうという気持ちが芽生えたので、

早いうちに伝えようと思いました」と将来的な

メジャーリーグ挑戦の意思があることを明らかにした。

2013年

第3回WBCの日本代表に選出される。

先発として起用されていたが、

中継ぎに異動となり、4試合に登板。

7イニングで防御率2.57の成績だった。

レギュラーシーズンでは開幕から連勝を重ねた。

4月は4試合に登板し、

3勝0敗。

なお4月16日の対ソフトバンク戦では

7回2失点でリードのまま降板しているが、

チームがその後逆転負け。

田中に勝ち負けはつかなかったが、

この年のシーズン公式戦では唯一の田中が登板しての敗戦となった。

5月は5試合に登板し4勝0敗で、

通算8度目となる月間MVPを獲得、

投手としてはパ・リーグ最多、

5年連続受賞は投手としてはプロ野球初。

6月16日の対阪神戦(Kスタ宮城)で球団新記録の開幕から9連勝。

6月は4試合登板で3勝0敗で、

史上初の2度目の2カ月連続、

通算9度は投手としては日本プロ野球最多タイの月間MVP受賞。

7月は4試合登板で3完投の4勝0敗として、

パ・リーグ初の3カ月連続、日本プロ野球タイ記録の年間3度目、

通算10度目(いずれもイチローの記録に並ぶ)の月間MVP受賞となった。

8月に入っても連勝は途切れる事はなく、

9月にかけて多くの連勝のプロ野球新記録を作ることになる。

8月2日の対日本ハム戦(札幌ドーム)で、

開幕から15連勝として間柴茂有(1981年)と斉藤和巳(2005年)の

日本プロ野球記録に並んだ。

8月9日の対ソフトバンク戦(Kスタ宮城)で

日本プロ野球新記録の開幕16連勝、

また前年から20連勝で、

松田清(1951-1952年)と稲尾和久(1957年)の日本プロ野球記録に並んだが、

先発登板だけで20連勝は史上初である。

8月16日の対西武戦(西武ドーム)で日本プロ野球新記録の21連勝。

8月30日の対ソフトバンク戦(ヤフオク)で開幕からの連勝を19として、

1912年にルーブ・マーカードが記録した

メジャーリーグの開幕連勝記録に並んだ。

8月は5試合に登板し、

5勝0敗で、

日本プロ野球新記録の4カ月連続、

年間4度目、

通算11度目となる月間MVPを受賞。

9月6日の対日本ハム戦(Kスタ宮城)で

稲尾和久(1957年)の記録に並ぶ

日本プロ野球タイ記録のシーズン20連勝。

シーズン20勝は2008年の楽天の岩隈久志以来。

メジャーリーグの開幕連勝記録を上回った。

9月13日の対オリックス戦(Kスタ宮城)でシーズン21連勝、

日本プロ野球新記録となり、

1936年から1937年にかけてカール・ハッベルが記録した

メジャーリーグ連勝記録を上回った。

9月21日の対日本ハム戦(札幌ドーム)で日本プロ野球では

1980年の木田勇以来33年ぶり、

2008年の岩隈久志を上回る球団新記録のシーズン22勝目で、

2003年の斉藤和巳以来の日本プロ野球タイ記録の15試合連続登板勝利。

楽天の優勝へのマジック2で迎えた9月26日の対

西武戦(西武ドーム)で1点差で迎えた9回裏に同季初のリリーフで登板。

この時、

ほぼ同時刻に2位のロッテが敗れてマジックが1となり、

このまま勝てば優勝決定の場面で

田中はランナーを2人出したものの無失点で抑えて胴上げ投手となり、

チームは初のリーグ優勝を決めた。

田中のセーブは4年ぶり。

9月は4試合登板で3勝1セーブとして、

5カ月連続、

通算12度目の月間MVPを受賞。

その後も連勝は途切れる事なく、

同季最終登板となった10月8日の対オリックス戦(Kスタ宮城)で

シーズン24勝目を挙げた。

ロッテとのクライマックスシリーズファイナルステージでは

第1戦(Kスタ宮城)に先発登板し2対0で、

CSでは初の完封勝利。

CSで3試合連続勝利はタイ記録で史上3人目、

3試合連続完投勝利はCS新記録。

日本シリーズ進出を決めた第4戦でも

9回表にリリーフで登板し無失点に抑えて、

パ・リーグCSの最優秀選手に選ばれている。

巨人との日本シリーズでは第2戦(Kスタ宮城)に先発し、

シリーズ史上18人目20度目の二桁奪三振、

シリーズ史上3人目の毎回の12奪三振で、

自身と球団シリーズ初勝利を挙げるが、

チームの日本一まで残り1勝だった第6戦(Kスタ宮城)では、

9回を160球で完投も被安打12で、

この年のシーズン公式戦から含めてワーストとなる4失点で敗戦投手となった。

また、

前年8月26日からのポストシーズンを含めた公式戦における

連勝記録が30でストップした。

翌日の第7戦(Kスタ宮城)でも3点リードで迎えた9回から登板、

村田修一とホセ・ロペスに安打を打たれるものの、

打者5人に15球で無失点で抑えてセーブを挙げ、

球団史上初の日本一が決定するとともに、

田中が胴上げ投手となった[57]。

この年は、

最多勝、

最優秀防御率、

勝率第1位投手を獲得。

前年からの連勝を28、

開幕からの連勝を24としてそれぞれ日本プロ野球新記録を達成。

規定投球回数に達し、

勝率10割としたのは日本プロ野球史上4人目で、

シーズン無敗で最多勝は日本プロ野球史上初。

沢村賞は選考委員会でわずか10分満場一致により選出され、

ベストナイン投手部門では24年ぶり、

自身初のMVPでは投手野手通じて48年ぶりに、

記者投票で満票を獲得しての受賞となった。

11月23日に行われた球団のファン感謝祭において、

開幕からのシーズン24連勝に前年からの28連勝と、

これにポストシーズンの2勝を含めた

30連勝の3つがギネス世界記録として認定され、

認定証が贈られた。

ポスティングシステムの新協定成立後の

12月17日には翌シーズンのMLB挑戦を希望していることを表明し、

25日に球団からポスティングシステムの行使を容認される。

マネジメント契約を結んでいたホリプロとの契約はこの年で終了し、

エクセル・スポーツ・マネジメントの


ケーシー・クロースを代理人として契約交渉を行う。

2014年

1月22日にニューヨーク・ヤンキースと

7年総額1億5500万ドルで契約合意したことが発表される。

投手としてはMLB史上5位の契約額となり、

4年目終了後には契約をオプトアウトしてFAとなれる条項が付く。

合意後の会見ではヤンキースとの契約を選んだ理由について

「最大限の評価をしてもらった。

世界でも名門のチームだし、

いろいろなものを感じながら、

違ったものを感じながら

プレーすることができるのではないかなと思っています」と語った。


24日、

背番号は19に決定したことが球団から発表された

(楽天時代の背番号18はすでに黒田博樹が使用していたため)。

渡米時には、

本人や家族と関係者計5人と愛犬1匹のため、

かつ入団会見やキャンプに「ベストなコンディションで臨むため」に

日本航空のボーイング787を自費負担でチャーターしたことが話題となった。

スプリングトレーニングでは3度の先発を含む5試合に登板し、

2勝0敗、

防御率2.14、

WHIP0.86と好投。

3月29日にはスプリングトレーニングで活躍した

1年目のヤンキースの選手に与えられる

「James P. Dawson Award」を受賞した。

開幕4戦目となる4月4日の対トロント・ブルージェイズ戦で

MLB初登板となる初先発。

1回裏に先頭打者のメルキー・カブレラに本塁打を打たれたが、

7回を6安打3失点(自責点2)8奪三振の投球で、


日米通算100勝目となるMLB初勝利を挙げた。

5月14日の対ニューヨーク・メッツ戦では

9回を4安打無失点の好投でメジャー初完封勝利を挙げ、

9回の第三打席ではMLB初安打も記録した。

5月20日の対シカゴ・カブス戦では6回8安打4失点(自責点3)で

MLBでの初敗戦投手となり、

2012年8月26日から続いた日米レギュラーシーズンでの

連勝記録は34で止まった。

6月3日には日本人投手史上3人目となる5月のリーグ

月間最優秀投手に選出され、

ヤンキースの新人投手では史上初の受賞となった。

選手としての特徴

高めのスリークォーターから投げる平均球速約147km/h、

最速156km/hのストレートと平均130km/h台中盤(最速144km/h)で

大きく変化する高速縦スライダーを軸に、

平均球速139.7km/hのSFF、

シュート変化をするツーシームを投げ分け、

稀にカーブ、チェンジアップも混ぜる。

2010年まではフォークを投げていたが、

同年の週刊ベースボールのインタビュー記事で

福岡ソフトバンクホークスの中継ぎ投手だった

ブライアン・ファルケンボーグがSFFを解説していて、

当時フォークを投げても自分が思う程三振を取れていなかった田中は

その記事を読んでSFFを習得、

それからは前以上に三振が取れるようになったため、

以降はフォークではなくSFFを使うようになったという。

プロ入り当初は縦のスライダーを軸にした三振を奪う投球スタイルで、

プロ1年目の奪三振率は9.46を記録した。

2年目からは変化の小さい球種を使った打たせて取る投球をするようになり、

奪三振率8.30を下回り奪三振が減少傾向にあったが、

5年目の2011年には前年の2倍以上となる241奪三振を記録し、

奪三振の半数近くをSFFで奪った。

プロ入り当初は奪三振が多い反面四球が少なくなかったが、

与四球率は2012年まで5年連続で良化させ、

日本での通算与四球率は1.98を記録している。

連続でゴールデングラブ賞を受賞するなど守備には定評があり、

牽制も素早い。

かつてはクイックモーションに課題があり、

一年目のシーズン許盗塁数28は12球団ワーストだったが、

翌年の春季キャンプまでに練習で克服している。

福岡ソフトバンクホークスと北海道日本ハムファイターズに対して相性が良く、

2013年までの通算成績は対ソフトバンク16勝3敗、

対日本ハムは23勝6敗で、

対ソフトバンクはルーキーイヤー以降では他球団と比べて

大差無いイニング数を投げながら極端に失点が少なく勝率が高い。

日本ハムとは2011年9月10日から

2013年シーズン終了までに13連勝を挙げており、

2013年には対日本ハム戦8試合登板で8勝を挙げている。

埼玉西武ライオンズとの相性は悪く、

パ・リーグでは唯一通算で負け越している。

強い精神力、

冷静さも評価されており、
感情のコントロールに長ける。

ミスをしたり試合をぶち壊しかねないイニングを経験した後でも、

動揺を見せること無く、

すぐに集中力を取り戻し、

立ち直ることができる。

人物

ファンやマスコミからの愛称である「マー君」は、

日米親善高校野球の際に監督を務めた和泉実が

選手同士の交流を図るため互いに名字で呼ぶことを禁止したことから、

早実の斎藤佑樹と「佑ちゃん」「マー君」と呼び合っている事が

本人達の口から語られたのがきっかけとなった。

楽天監督だった野村克也もこの愛称を用いてインタビューに応じることが多いが、

一方で愛称とはいえ選手を「君づけ」で呼ぶのは稀有なことだと述懐している。

高須洋介は「マーが投げる試合は、

打線がなんとかしようという雰囲気になる」と語っている。

また、

その勝ち運から野村に

「マー君、

神の子、

不思議な子」

「不思議の国のマー君」

「今日は悪魔の子かと思ったけど、

やっぱり神の子」等と評された。

北京五輪、

WBCなどではダルビッシュ有から弟のように可愛がられ、

藤川球児が

「お前は“マー君”っていうより“まさお”って顔だよな」と発言したことから

「まさお」と呼ばれている。

第2回WBC優勝時のシャンパンファイトでは

松坂大輔、

稲葉篤紀、

小山良男(ブルペン捕手)、

城島健司が胴上げされた後に

「まさお!」と呼ばれて胴上げの輪に入ったが、

胴上げはされずチームメイトから蹴りを入れられ、

松坂から冗談交じりに

「若い芽は早いうちに潰しておかないと」と言われ

「あ〜ショックだ〜!」と叫び、

笑いが生まれた。

帰国後の記者会見でも隣に座っていた

ダルビッシュに半ば強制されたような形で

「次回のWBCでは(松坂の背番号でもある)

18番を着けられるように頑張ります!」と発言し、

笑いを誘った。

1988年生まれのプロ野球選手を集めた「88年会」の発起人であり、

前田健太、

坂本勇人らとともに子供達を対象にした野球教室などを行っている。

趣味

ボウリングは平均スコア170、

ベストスコアは216(2007年当時)。

球団からは

“故障防止のためプレーはシーズンオフに限ること”と言い渡されている。

球団公式サイトでは釣りも趣味となっており、

ゴルフも「趣味以上」と語っている。

競馬ファンでもあり、

2014年春には東京スポーツ紙上で

「田中将大の無敗予想」と題し、

連載でJRAのGIレースの予想を行っている。

一番好きな食べ物は「デミグラスソースのオムライス」。

仙台でナイターに登板する際は、

必ず昼食に

妻・里田まいの作ったオムライスを食べてから球場入りしていた。

一方で苦手な食べ物は冷やしトマト、カキフライ。

アイドルファン

ももいろクローバーZ(以下、ももクロ)の熱狂的ファンを公言しており、

ライブにも複数回足を運んでいる。

2013年には練習用として、

ももクロのメンバーカラー5色に染め分けられたグローブを特注し、

公式戦においてはクローバーの刺繍がされたものを使用している。

また、

球団がファンクラブ会員に「選手応援タオル」をプレゼントした際、

田中のタオルはももクロのメンバーカラー5色を使用し、

その並び順もステージ上での本人たちの立ち位置とまったく同じであった。

球団広報によると「本人の希望でこの配色になった」とのことだった。

さらに日本プロ野球新記録の開幕16連勝を達成した試合では、

同配色の応援ボードが配布され観客によって掲げられた。

なお2012年からは、

本拠地公式戦における登場曲にももクロの曲を複数使用しており、

2013年にはoverture(ライブで本人登場時に流れるBGM)まで使用した。

メンバーに関してはいわゆる「箱推し」

(特定のメンバーではなくグループ全体が好きな状態)であるとコメントしており、

以下に挙げる共演を果たしている。

2013年9月3日、

クリネックススタジアム宮城での公式戦前にももクロと対面。

リーダーの百田夏菜子にピッチング指導を行なった

(百田は同日、始球式を行った)。

2013年11月23日、

『楽天イーグルス ファン感謝祭』にゲストとしてサプライズ出演したももクロから、

ギネス記録を祝福される。

ももクロは、

田中が登場曲に使用した

「DNA狂詩曲」と

「走れ!」を披露した。

2013年11月29日放送の『僕らの音楽』にて、

ももクロと対談を行った。

2013年12月12日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』の

コーナー「新・食わず嫌い王決定戦」で、

田中とももクロの対決が行われ、

結果は両者正解・引き分けだったが、

ももクロの申し入れにより、

お互いが罰ゲームを受けることとなった。

2013年12月31日放送の『NHK紅白歌合戦』にて、

ももクロの歌唱前に共に登壇し5色のグローブ(前述)を披露、

曲紹介も担当した。

なお田中が登場曲に使用していた「走れ!」がメドレーの中で披露された。

メジャーリーグ移籍後も、

ももいろクローバーZとの交流が続いている。

ニューヨーク・ヤンキースのホームゲームでは、同グループの

「My Dear Fellow」が登場曲として採用された。

この曲は田中のために作られたもので、

ヤンキー・スタジアムでの初登板の際に初披露された

(それまでは日本でも一切公開されていなかった)。

このことは複数の現地メディアでも紹介され、

ニューヨーク・ポストは「これまでここで流れた、

ほかのいかなる曲とも違う」

「自分専用の曲を引っさげてこの街に来る人なんて、

他に誰がいるだろうか?」と取り上げた。

My Dear Fellowは英語での呼びかけで

「仲間よ」を意味する。

AKB48グループに関しても、

各地の専用劇場にも足を運んだことがあり、

2012年オフには東京・秋葉原のAKB48劇場で推しメン

(好きなメンバー)である高橋みなみとの対談も果たした。

2011年5月から6月にかけて実施された

AKB48 22ndシングル選抜総選挙に際しては

東京スポーツ紙上で予想を披露した。

SKE48の松井玲奈にはダンスからパワーをもらったと語っており、

松井のツイッターをフォローしたことが話題となった。

2013年には「AKB48 紅白対抗歌合戦」の審査員を務めている。

また、

NMB48で好きな曲としてナギイチを挙げている。

同じア・リーグ東地区の首位に立つブルージェイズをチームは4・5ゲーム差で追っている。

自身は両リーグ単独トップの11勝目が懸かった登板。

田中将は「同地区の首位を走っているチームに勝っていかないといけないと思うので

そういうピッチングができれば」と話した。

4月4日のメジャーデビュー戦の相手との再戦。

前回は7回5安打3失点で初勝利を手にしているが、

「実際にバッターと対じして感じるものがある。

それは向こうも一緒。

そういった中でうまく投げられたらいいと思う」と2度目の対戦でも

「感覚」を重視する姿勢は変わらない。

試合前のクラブハウスのテレビでは連日、

サッカーW杯の様子が流れている。

「日本に頑張ってほしいとは思っています」。

そうエールを送った田中将は

今、

日本はワールドカップ一色だと思うので、

(自分は)細々とやっていきます」と言って笑いを誘った。

サッカーが、

勝てるように応援してください。

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